誰もが気軽に集えるバリアフリーの宿泊交流施設。

津別町にある北海道でてこいランドは、ハンディのある人もない人も、子供からお年寄りまで誰もが気軽に集い、のびのびと遊べる交流の場として津別町の有志により設立されました。自然公園に佇み、津別の森の息づかいが感じられる宿泊施設には年間2000人以上の人が訪れます。立ち上げ当初から運営に携わる管理人で事務局長の山内 彬さんに、でてこいランドの魅力を伺います。

自然公園に佇み、キャンプ場やフィールドアスレチック、釣りが体験できるスポットなどに囲まれ、ゆったりと津別の自然を楽しめる北海道でてこいランド。

誰もがみんな、自然なかたちで出会える交流の場を。

 でてこいランドをつくったきっかけは?

30年くらい前に人材育成のために津別町町おこし大学が開設して、異業種でいろんな人が集まったのさ。町おこしで有名な先生に長崎から月一回来てもらって、全国的な情報だとか、これからの町おこしをどういうふうにしたらいいかっていうことを2年間学んで。卒業記念で修学旅行へ行こうということになったら、先生が長崎へいらっしゃいということで、泊まった先がみかん山の上にあった「長崎でてこいランド」。泊まっているうちにみんなで「これ、いいな」と。なぜかと言うと、障がい者も健常者も誰でも集まって使えるようなスタイルの建物だったの。それで、よし、みんなで津別につくるべとこうなったわけ。誰もがみんな自然なかたちで出会って、気軽に集まれるバリアフリーの交流の場を津別につくりたい! それが始まり。

“でてこい”ランドはハンディのある人もない人も、全ての人が家に引きこもらないで「でてきて」という願いで名づけられた。ゲストハウスとしてだけでなく、特別支援の子どもたちの活動の場としても利用されている。

イベントや様々な集まりでも愛用される 北海道でてこいランド。

ゼロから自分たちの力で! 寄付を募っては建設を進めた4年の歳月。

自慢できるのは、これは皆さんの寄付金とボランティアと地元の企業の協力でできたっていうこと。普通だったら町に補助金くださいとかってやるんだけども、町からもらわないでやろう。町のお金が入るっていうことは税金が入るっていうことだから、自分たちの発想で自由に使えないんだよね。そういうのは嫌だから、いっさい公的資金をもらわないで、一人一人の自力でやろうと。ゼロから、資金作りから。趣旨に賛同してもらって、これつくりたいから応援してくれと寄付をお願いして。それで、資金が集まったら、まずは基礎。それからまた寄付を集めて、次、というふうに寄付を集めながら4年かけて形にしていったんだ。

山内さん自ら津別の山に入り、でてこいランドのシンボルとなる柱の木を選んで伐り出してもらった。

大広間を見守る2本の柱。床下の基礎から吹き抜けの高い天井まで真っ直ぐ突き抜け、森のまち津別の息遣いを伝える。

全国、海外からも寄せられた2000万円を超える寄付。

 町内だけでなく、全国からも広く賛同が得られたのは?

当時はまだ北海道を含めてほとんどね、民間の宿泊施設で障害者の人が泊まれない。だからこういう宿泊施設をつくろうと。誰でも使える、でも障がい者の人を優先して利用してもらうという趣旨で2000万円以上集まったんだ。町内だけじゃない、全国、外国からもきたよ。津別が国際交流で留学生をホームステイで受け入れてて、帰った留学生がお世話になりました協力しますっていうんで寄付してくれたり、そういう色んなつながりがあるんだよね。企業は設備だったら品物で寄付してくれたり。「なんか協力できるものないかい? 言ってくれや」って。ありがたいね。趣旨とみんなで一生懸命やっているっていうことが協力してもらえた原動力かな。

津別の商店街の特徴である木のデザイン看板は山内さんが役場職員時代に手がけた仕事の一つ。仕事をしながら夜や土日に、北海道でてこいランド建設の寄付集めに奔走した。

北海道の風を感じる子どもたち。

横浜の目が見えない子どもたちの学校が毎年修学旅行で津別に来るようになったの。この子どもたちは匂いだとか風だとか、雰囲気に対してすごい敏感なんだ。いろんな所へ連れて行って、紋別でアザラシに触らせたら感激して。料理もね、調理する前に鮭のまるまんまをひとりひとりが触って、これを料理して皆さんが食べるんですよと。野菜も自分たちで収穫して食べるんだよって、畑を案内して大根を抜く、芋を掘る。したらね、子どもたちはとったら一回、齧るんだ。それで、野菜ってこういうもんなんだと感じとるというかね。大根っていうのはこういう形でこういう味だと、掘ったときにすぐ感じてみるんだね。それを調理して食べてもらう。隣の焼肉ハウスでジンギスカンにしたり、さっき触った鮭をちゃんちゃん焼きにして食べてもらったり。帰ったら先輩が後輩に伝えるわけ。そしたら後輩も北海道へ行きたいと。そしてまた後輩に伝えて。ほんとにね、楽しいって、障がいの重い子も酸素ボンベ背負いながらでも来るんだよ。

オホーツクの大自然を楽しみに来る訓盲学院の子ども達。でてこいランドにはジンギスカンなどを存分に楽しめる焼肉ハウスが併設されている。

食のまち、津別ならではのものを。

 力を入れていることはなんですか?

基本的にここはゲストハウスだけども、頼まれたら料理をするの。例えば1000円でこういうものが食べたいって希望があれば任せてもらって。ホテルじゃないから個々のお客さんに合わせて変えて出せる。泊まっている人に聞くと、みんな楽しみにしているのはやっぱりその土地の美味しいものなんだ。津別はオーガニック牛乳あり、いろんな野菜に、おそらくほとんどのものを作っていると思うよ。ここで調理して、ここらしい独自のものを楽しんでもらおうと。それが喜ばれてるというか、これからも力を入れてやっていこうと思う。

NPO法人 北海道でてこいランドは子ども食堂の活動や特産品開発、地元食材のバイキングなど津別ならではの食への取り組みも行っている。

みんなに愛される「北海道でてこいランド」を未来へつなげたい。

いろんな形で利用する人が増えて、年間の利用者数が2000人を超えてきた。皆さんに喜んでもらえるような施設になったんだよね。今、運営しているメンバーはボランティアなの。例えば合宿とかで子どもたちが来たらそれぞれの役割を決めてボランティアで動いてくれてる。趣旨に賛同して協力するよと、そういうメンバーなんだ。この建物のメンテナンス含めて、できることは自分たちでやってる。ただ、もう高齢化してるんで、この施設を誰か継続してくれる人がいればやってもらおうと話しているの。我々はNPO法人だけど、次やる人は個人で経営すればいい。もう30年、一回も赤字になっていない。一つ一つ整備しながら、それなりにお金を残してやってきてるわけ。次やってくれる人がいなかったらここをね、綺麗に壊すしかないのさ。ゼロにしなきゃ。それが今の課題なの。だから、それまでは一生懸命やるよ。

窓の上にずらりと飾られた合宿の集合写真や色紙。

合宿の集合写真を見上げ、「こういうふうに写真を飾っていると、次に来た後輩が当時の先生や先輩を見つけて喜ぶんだ。これからもこの場所が続いていってほしい」と語る山内さん。

山内 彬(やまうち ひとし)さん

津別町出身。津別町役場で勤めながら、北海道でてこいランドを仲間とともに立ち上げる。2006年に地域の社会福祉などに寄与する目的でNPO法人化した。現在、でてこいランドの管理人・事務局長を務める。津別町の町議会議員としても活躍している。

NPO法人 北海道でてこいランド

北海道網走郡津別町字共和24番地1
TEL 0152-76-1313 FAX 0152-76-3010
バリアフリーレジャーランド NPO法人 北海道でてこいランド

【取材・編集】小塚翔子(こつか しょうこ)

1983年生まれ、茨城県出身。富良野塾で脚本を学ぶ。
NHKサービスセンター、ポニーキャニオンエンタープライズ勤務を経て
日本語教師として日本語教育に携わる。
東京で脚本、エッセイの連載等を手がけ、
2020年に津別町の地域おこし協力隊に着任。
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