音楽交流のまち

(公財)日本フィルハーモニー交響楽団からプロの講師陣を津別に招き、全国から集まる受講者とともに2泊3日で音楽をつくりあげる「つべつ日本フィルセミナー」は今年で25回目を迎えます。そして2008年から始まった「つべつリコーダーセミナー」も、全国からの受講者が大合奏のハーモニーを津別で響かせています。音楽交流の町として愛される津別町を築いてきたこの2つのセミナーを運営するのが、津別町民芸術劇場です。セミナーをはじめ様々な舞台芸術を招聘し、40年近く津別町の芸術文化を支えてきました。立ち上げから携わる長野三恵子さんに、津別町民芸術劇場の歴史と今、そしてこれからへの思いを伺います。

1階、2階席を備え519人のキャパを持つ津別町中央公民館の講堂を拠点にコンサートをはじめ、ミュージカル、演劇、落語など多様な芸術を招聘してきた。公民館には図書室も併設され、調理室や研修室など充実した設備が様々なコミュニティー・文化活動に活用されている。

文化に僻地なんてない。

 立ち上げから津別町民芸術劇場を続けてこられた思いは?

津別町民芸術劇場を立ち上げた当時ね、「石北峠を越えたら文化の香りがしない」って言われてたんですよ。文化の香りがしないなんてとんでもない。文化に僻地があってたまるかと、そんな気持ちがありました。ここだって、豊かな文化に接することができる。そういう同じ思いの仲間もいたので、ここまで一緒にやってこれたっていう感じですね。

1984年、津別町開基100年記念で行われた日本フィルハーモニー交響楽団のフルオーケストラと150名の町民合唱団のコンサート。中央公民館に今も大切にパネルが展示されている。

83年に北見の劇団「河童」を招き公演したことで津別町民芸術劇場が発足して、翌年に廃線されようとしていた相生線のために日本フィルの弦楽四重奏を招いて相生線ラブコンサートを開催しました。そこから日フィルとのご縁ができて、その翌年の津別町開基100年記念事業でフルオーケストラを呼んだんです。それに町民の合唱団をつくって歌おうということになって、150名の合唱団がハレルヤコーラスを歌いました。それから毎年、日フィルの演奏会を行なっています。

感受性豊かな子どもたちに本物に触れてほしい。コロナの蔓延防止措置の解除を待って、今年3月に開かれた「つべつ日本フィル子ども芸術の広場」は第34回を数えた。

演奏会をご縁に、日フィルの奏者の方が移住。

日フィルのコントラバス奏者の方が退団後、津別を気に入って移住されたんです。その方がアマチュアの奏者のためのセミナーをやりたいっていう話で。「先生、それ、やりましょう!」って。96年から始めたんですよね。初回の取り組み曲はシューベルトの「未完成」。これ未完成に終わったらどうするんだ! みたいな冗談言いながらね。ともかく初めてのことだったからスタッフみんな右往左往で。講師陣もね、初めは弦楽器5人から徐々に増やして、第7回には全楽器13人。今ではステージマネージャーコースを入れて14人に。

1996年から始まった「つべつ日本フィルセミナー」には全国から受講者が集まる。今年で第25回目を迎える。(*20年と21年は新型コロナの影響で中止)

大きく奏でる楽しみ。

 「つべつリコーダーセミナー」について教えてください。

活汲小中学校(平成27年閉校)がリコーダーの全国大会で優勝した経緯があって、そこで教えていた先生が日本フィルセミナーのようなことをやりたいと言ったんです。東京リコーダーオーケストラの先生とご縁もあって、2008年から「つべつリコーダーセミナー」が始まりました。これも全国から受講者が集まります。リコーダーって ふだん小アンサンブルで演奏しているところが多いので、大人数の合奏なんてあまりないんですよ。大きく奏でる、そのハーモニーを楽しみにくる人が多いですね。

「つべつリコーダーセミナー」には中々味わうことのできない大合奏のハーモニーを楽しみに全国から受講者が訪れる。

来てくれる人たちが津別のことを大好きになってくれる。

 リピーターの人も多いんですね。

もう本当に長年ずっと通い続けてくださる人もいらっしゃるし、北海道、東京、九州からも、全国から集まるんです。来てくれる人たち みんな、津別を大好きになってくれて嬉しいです。津別に来てセミナーをやって楽しんで帰ってもらうと、他の町への良い音楽文化も波及される。津別いい、津別いいってみんな言ってくださるので、津別の人たちも誇りに思っていいと思うんです。

自然公園に佇む「でてこいランド」は受講者に愛用される宿泊施設の一つ。練習やコンサートのあとの楽しい交流もセミナーの醍醐味。

「津別っていうのは偶然見つけた宝物のような町」

 みなさん、津別のどんなところが好きになるんでしょう?

やっぱりね、都会で味わえない開放感。この空気。みんな食べ物が美味しいというし、あと町の人の人柄ですよ。講師の人も朝の9時くらいから下手したら夜の8時くらいまで指導するんですけど、「労働時間は長いけれど、労働内容がいいんだよね」って言ってくださるんです。先生たちも 津別に来たら本当に楽しんでますよ。そういうものがいい音楽を、そしていい人間関係をつくっていくんじゃないかな。ある受講生の方が「津別っていうのは偶然見つけた宝物のような町」って言ってくれて、何度も来てくれてたんです。その言葉を今でも心の宝物にしています。

津別はのどかな田園風景が広がる山間部の農業地帯。美味しい農産物をはじめ、オーガニック牛乳や和牛など豊かな食を生産している。

長野さんが着目した有名な音楽祭が多い緯度圏。

音楽交流のまちへ

 これから津別町にどんな町になっていってほしいですか?

世界三大音楽祭っていうのがあって、その緯度を見ていくとドイツのバイロイト音楽祭が49度52分、イタリアのフィレンツェ5月音楽祭が43度76分、ウィーンのニューイヤーコンサートが48度13分なんですね。津別は緯度43度42分でちょうどこの圏内に入ってるんです。なんか音楽が発展できるような地域ではないのかなって。アメリカのタングルウッド音楽祭というのもあって、42度36分。ここが2010年の人口が5025人で津別とそんなに変わらないんですけど、ボストンフィルの避暑地で6月から9月にかけてジャズからフュージョンからいろんな音楽が行われて30万人が来るんです。私はこのセミナーで手いっぱいなんですけど、いろんなジャンルの音楽をこのまちで展開していただいて、津別がそういう音楽のまちになったら面白いなって思います。

海外青年交流事業で5カ国を巡り、様々な文化に接した思い出を楽しそうに語る長野さん。2026年完成のサクラダファミリアを観に行くのが今の夢。

長野 三恵子(ながの みえこ)さん

津別町出身。事務職を経て、津別保育所で保育士として24年勤務。津別町民芸術劇場の立ち上げから携わり、その他にも津別町のバリアフリー宿泊施設 NPO法人北海道でてこいランドの運営をはじめ、様々な町の活動に貢献している。

津別町民芸術劇場 http://www8.plala.or.jp/tu-tat/index.html

【取材・編集】小塚翔子(こつか しょうこ)

1983年生まれ、茨城県出身。富良野塾で脚本を学ぶ。
NHKサービスセンター、ポニーキャニオンエンタープライズ勤務を経て
日本語教師として日本語教育に携わる。
東京で脚本、エッセイの連載等を手がけ、
2020年に津別町の地域おこし協力隊に着任。
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