障がいのある人と共に育ち、暮らし、いきる町へ。

障がいのある人の働く場、津別町のパン屋「クレシェ」は今年で10周年を迎えました。クレシェを運営する「津別町手をつなぐ育成会」はクレシェをはじめとした就労支援事業、放課後等デイサービスや日中一時預かり支援など、障がいのある人が地域で暮らすために必要な事業を立ち上げ、運営しています。中心になって奔走する事務局の白鳥さんに育成会の活動と思いについて伺います。

クレシェの開店準備を撮影しました。

障がいを持つ子どもたちの親が立ち上がって。

 津別町手をつなぐ育成会での活動の経緯を教えてください。

津別の育成会は発足当時から、主になって活動していたのが学校の先生だったんです。事務局もずっと先生がやって、先生が中心になってレクリエーションとかに親を巻き込んで。引っ越してきて何年かして仲間と「自分の子どもたちのために親がやんなくちゃダメなんじゃない?」って。会長とかも、そろそろ親がやったほうがいいんじゃないかなって。それで十年前、初めて親が会長になって そこから活動しはじめたんです。

今年10周年を迎えるクレシェ。木金の店舗販売の他、町内の店にパンを卸したり、出張販売もしている。

子どもたちが ここで生まれて、育って、住めるような町へ。

その当時、津別の障がいがある人たちは学校を卒業したあと、美幌や北見へ行ったり、北海道内で入所して週末や盆正月に帰ってくるとか、そういうふうだったんだよね。障がいのある人が活動したり、働いたりする場所がなかったから。自分たちの子どもたちは町を出てどっかへ行くんじゃなくて、ここでね、うまれて育って、この先、親がいなくなっても住めるような、そんな町にしなきゃって。まずは周知活動でお祭りに出店して「『津別町手をつなぐ育成会』っていう団体がありますよ」、「障がいのある子たちの家族でつくっている団体ですよ」って知ってもらって。それからNPO法人を立ち上げたの。事業をするには法人格を持ってなくちゃいけないので。

開店前、次々とパンが焼きあがってくる。

「やればできる!」先生の力強い後押し。

 パン屋「クレシェ」を始めたのは?

うちの障がいを持った娘が中学のときに3年間担当してくれた先生が、何でも「やればできる!」って言うパワーのある先生で。学習で娘と津別町のお店調べをしたら、津別町にはコンビニとかはあるけどパンを作って売るパン屋が一軒もない。それで娘にパン屋をやればいいんじゃないかって。「やればできる!」って、娘も中学の3年間でやる気になって。そこがきっかけですね。

売り場でも開店準備がすすんでいる。

10周年の感謝の気持ちを込めた「おまけパン」。袋詰めや仕込みなどを含め、それぞれができる仕事を分担していく。

これからの子どもたちも、大きくなって ここで働けるように。

育成会の仲間とパンを作る練習を2〜3年ぐらいして、障がいのある人の活動の場所として開業したんです。当時、障がいのある人は町を出てしまっているから理事長の子とうちの娘の2人で始まって、これからの子どもたちも大きくなってここで働けるように。十年経って本当にそのとおり、当時小学校1年生だった会員の子が今年ここで働いてる。年々増えて、今年定員の十人になったところです。

売り場にパンが並びはじめた。ライ麦パンは人気商品のひとつ。

ここで訓練した人が職員として帰ってきてくれた!

最初3年ぐらい親だけでやってたけど、やっぱり親だけでは自分の子どもの世話もあるので。今は職員を3人雇っています。あともう一人パンを作れる職員がいたらなっていうときに、最初にここで就労の訓練をして、次のステップの就労支援の場所で更にパンを学んできた人が、職員としてここに帰ってきてくれたんです。その人にとって、うちで最初に訓練したことが大きな一歩だったみたいで。「できればここで働かしてもらいたい」って言ってくれたので。そんなふうに帰ってきてくれるなんて、なんてありがたいんだろう。中々めったにないことだと思うんです。

開店し、ほっと一息。みんなのまかないを作り始める白鳥さん。

季節のカボチャパンなどの菓子パンや惣菜パンなどたくさんの種類のパンがずらりと並ぶ。

10年の活動が地域の資源に。

 他の事業についても教えてください。

放課後等デイサービス「すきっぷ」で小学生から高校生の放課後や長期休みの療育支援をやっています。町が旧津別保育所の建物を無償で貸してくれて、今年6年目になるのかな。あと日中一時支援。子どもから大人までの預かりですね。家族に介護を少し休んでもらう。10年前は福祉サービスが全然町にない。町民の人も分からない、知らないっていうかね。私も当時はすごい突っ走ってました。自分たちの子どものためになんとかしなくちゃって。今は知ってもらえてる。協力して応援してくれる人もたくさんいて、ありがたいです。

学校に子どもたちを迎えに行き、放課後を共にし、家まで送る放課後等デイサービス「すきっぷ」。活動の場所を町が無償で貸し出してくれた。

津別町の障がいのある人と高齢者が共に作業し、地域で育てる青大豆。

福祉の輪でつながった地域の味噌づくり。

 昨年から始まった「つべつ豆のわプロジェクト」とは?

津別町の相生という地域で、農家の女性たちがずっと味噌を作って道の駅で販売していたんです。それがもうできないっていうんで、誰か後を継いで「あいおい味噌」作ってくれる人がいないかなって育成会に話がきたんだよね。ただ農家の女性たちは味噌を作る豆も自分たちでこさえてたから。しかも普通の大豆じゃなくて青大豆ってやつで。「じゃあ、畑つくろうよ」って、声をかけてくれたのが仕掛け人の河本純吾君。農家がすごく忙しいのに色々教えて、手伝ってくれて。

*河本純吾さん・・・津別町の布川という地域で河本農場を経営している。

「にお積み」という昔ながらの方法で豆を積み、乾燥させる。

それで仲間がいたほうがって津別町社会福祉協議会ともつなげて、その社協さんが畑の管理とかボランティアさんを集めて。「びーと」の職員さんがパンフレットを作ったり、宣伝してくれて。うちは味噌づくりをしてっていう感じで連携して、それで豆のわプロジェクトになったんです。

*びーと・・・ 株式会社 びーと   障がいのある人のグループホームや地域交流施設のカフェを運営

味噌のパック詰め。空気が入らないよう、ひとつひとつ丁寧に。

ピンチのときに、手を差し伸べてくれる人が現れる。

 様々な事業を立ち上げてこられた思いは?

本当にピンチのときに手を差し伸べてくれる人が現れるっていう、そういうことが何回かありました。困っている時に助けてくれた人、同じ思いをもってくれた人、その人たちが現れなかったら絶対続けてられない。その人たちのおかげで今なんとかなってるよねって。それは今でもずっと続いていることです。

あいおい味噌と豆のわプロジェクトへの思いがこもったパンフレットも一緒に封入。道の駅あいおいで販売される。

 これから挑戦したいことについて教えてください。

障がいのある人たちが住むところ、グループホームをつくらなくちゃいけない。今、びーとさんがやってる男性のグループホームが1軒あるけど、1軒じゃ足りなくなると思います。それは本当につくらないと。
それから、個人的には旅行に行きたい。ローカル列車の旅をしてみたいですね。

子どもの学校のために津別町の活汲に来た白鳥さん。活汲が兄弟みんなにとって良い子ども時代だったと思い出を楽しそうに語る。

白鳥 幸(しらとり みゆき)さん

1960年生まれ 釧路出身。結婚を機に網走管内へ。北見市在住時にも北見市で福祉事業の立ち上げに携わる。障がいを持つ娘さんの入学時に、少人数学級でみんなと一緒に学べる津別町の活汲小中学校を選び、家族で津別へ移住。現在津別に来て22年。津別町手をつなぐ育成会の副理事・事務局長を務める。

NPO法人 津別町手をつなぐ育成会
手作りパンの店「クレシェ」・就労継続支援B型つむぎ

北海道網走郡津別町1条通21番地1
TEL 0152-77-3210

 取材を終えて

津別に障がい者福祉の火を灯し、力を合わせて町を変えてきた白鳥さん。苦労を感じさせないパワフルな笑顔に、こういう方々の活動の上に今の町があるのだと、お話を伺いながら胸が熱くなりました。

【取材・編集】小塚翔子(こつか しょうこ)

1983年生まれ、茨城県出身。富良野塾で脚本を学ぶ。
NHKサービスセンター、ポニーキャニオンエンタープライズ勤務を経て
日本語教師として日本語教育に携わる。
東京で脚本、エッセイの連載等を手がけ、
2020年に津別町の地域おこし協力隊に着任。
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