新聞に載ることは生きている証
毎週火曜日・週刊で発行されている町内のローカル新聞、「津別新報」を発行する相沢さん。昭和23年に創刊し、父の代から続く、町内の貴重な情報源です。相沢さんは町の移り変わりとともに、町内のあらゆる情報に触れてきた町内みんなのお母さん的な存在。移住して来た人にも町の紹介やおすそ分けなど、面倒見がとっても良いそう。「せっかく我が町に来てくれたんだから当たり前でしょう!みんな家族みたいなもんよ!」と笑う相沢さんに津別町のお話を聞きました。
ー相沢さんはいつから津別新報に携わっているのですか?
父の代からはじまった新聞で、私が書き始めたのは28、29歳くらいの時。今から30年以上前。父の体調が悪くなって、続けられなくなったもんだから、未経験ながらも見よう見まねで書き始めたのが最初です。子供の頃から家には町のいろんな人が出入りしていて、父はいつも飲みに出歩いていたり、家に来ている人と麻雀をやったりしていた。子供の頃から母親には「あなたが悪いことしたらお父さんは新聞出せなくなるんだからね」と言われていて、幼いながらに正直にいなきゃという自覚があったんだよね。今も何も言わずに年賀広告を出してくれる企業さんがいたり、今考えれば、その頃父が遊んでいるように見えたけど、そうして町の人とコミュニケーションを取っていたんだなあ、と思います。
小さな町だからね、助け合いしなきゃ。
ー町内の人は相沢さんにお世話になったと言う人も少なくないと聞きます。高橋さん(取材に同行してくれた津別役場の方)も移住したばかりの頃は本当にお世話になったんですもんね。
わざわざ我が町に来てくれてね、嬉しいじゃない。みんなで底上げして、良くなっていかないことには町は廃れちゃうからね。家族みたいなもんだよ。老人とか歩いてるとほっとけないの。「どこ行くんだい」ってすぐ車に載せちゃったりしてさ。助け合いしなきゃ、小さな町だから。
人を傷つけないようにしないと。載ってしまうと一生モノだから。
ー最近で印象に残ってる記事はありますか?
成人式の記事かな。今年は新成人が34人いて、毎年メイクや髪をやる美容室で話を聞いてるんだ。みんな可愛い顔して綺麗で立派になってるんだけど、小さい時の話とか、今もそれぞれに苦労している話とか聞いてるからね。それでも成人式の日に晴れ姿を見せてくれて、よく育ってくれたなあと思います。
ー相沢さんに聞けば町のあらゆる情報がわかりますね
町の人とのおしゃべりで情報が入ってくるんだよ。ずっと通ってみたり、とりあえず行ってみたり、そんな中で教えてくれたり関係性ができたりするから。みんな言いにくいこととかもあるでしょ。この人とこの人の関係性はあまり良くないだろうなとか。そんなことも考えながら、関係している方とうまく調整して考えて考えて記事を書いています。小さな町だからこそ、事情を知らないとできなかったり、人を傷つけないようにしないとね。載ってしまったら一生モノになってしまうからね。
みんなのことを考えて、みんなにお知らせする気持ちで作ってます。
ー津別新報はどんな新聞だと言えますか
年寄り、父さん、母さん、子供、全部が入っている新聞にしたい。新聞って誰かの功績が載ったりする中に、死亡欄もあったりするでしょう。誰かが新聞に載った時にそれをみた人が「ああ、あの人元気にやってんだ」って思ってもらえる。新聞に載ってるってのは生きている証なんだよね。町外に住んでいる人も読みたいと言ってる人がいて、みんなに発送している。今は津別に住んでいないけど、津別の情報がほしいって人は結構たくさんいるんだよ。北海道新聞を取るか津別新報を取るかで津別新報を選んでくれたりする人もいる。明日がどうなるかわからないけど、みんなのことを考えて、みんなにお知らせする気持ちで作っています。
ー最後に津別町の好きなところと、相沢さんにとってどんな町かを教えていただけますか?
でてこいランドが好きだね。津別は困っている人がいたら黙ってる人がいないところだと思うよ。誰かが助けてくれる。安心できるところに来たんだなって思ってほしいな。
相沢 真由美(あいざわ まゆみ)さん
1955年津別町生まれ。20代後半に家業である 津別新報社に入社。
創刊60年を越える津別町のローカル新聞「津別新報」を作り続けて30年以上が経つ。
スキーが趣味でヨーロッパなど過去に様々な国に滑りに行った経験もあるそう!