国内初の「地産地消・エコ フードホール」

2019年2月23・24日の二日間、津別町で開催された第一回『津別フードホール』。北海道つべつまちづくり株式会社が企画した初めてのこのイベント。来場者は二日間で2700人と、津別町の人口の半分以上が訪れました。7割が町外からの来場者と、初回から大反響のイベントとなりました。そんな新しい食の場となった『津別フードホール』について、お話をお聞きしました。

山本 洋子(やまもと ようこ)さん
大阪府生まれ。北海道つべつまちづくり株式会社・サブマネージャー。2018年9月、大阪府より北海道つべつまちづくり株式会社・サブマネージャー就任のため移住。今回の『津別フードホール』企画・運営を担当。

新しい食の提案ができる場所を

ー今回のイベントはどのようにして開催が決まりましたか?

津別町内のマルシェ開催を企画していて、新しい食の提案ができる場所にしようと決めました。津別町やオホーツクには豊富な食材があるので、それをアップデートして届けたいと考えていました。フードホールはニューヨーク発祥で最近では徐々に東京や大阪の商業施設にも増えてきました。形態は店舗により様々ですが、一般的なフードコートやイートインではなく、ここでしか食べられないハイクォリティ・ハイセンスなものが食べられたり持ち帰れたり、オシャレなスーパーに売っている食材をその場で食べれたり、買ったワインがその場で飲めたりする新しい食を体験できる場所です。今回のフードホールもただのお祭りのノリにせず、とっておきの素材を活かして、いつもとは違う食の場を提供したいと思いました。

ー今回のフードホールのテーマを教えてください

今回のフードホールはプロデュースを依頼した大阪のThe Diningという会社とチミケップホテルの渡辺シェフが「フレンチ」という共通点、そして、津別町の二大和牛である「つべつ和牛」と「流氷牛」を使ったので「フレンチカーニバル謝肉祭」というテーマにしました。The Diningは大阪にいた頃の繋がりで来てもらうことができました。おかげさまで、とても素敵な雰囲気になりました。あとは今回もう一つ心がけていたのは「エコ」ということでした。私が津別町に来て驚いたことの一つに、ゴミの分別がありました。津別町はゴミの分別が厳しくてとても意識が高いです。津別町で最も大きな会社である丸玉木材さんは自社で出した廃材を燃料にして自家発電しています。今回はフードホールでもそういった津別がすでに取り組んでいるサステイナブルな観点をもう少し打ち出したいなと思い、プラや使い捨ての容器を使わないなど、ゴミを極力出さない工夫をしました。

準備の様子。当日使うテントの装飾も手作りしたそう。

ガーランドづくりのワークショップの様子。

みんなで作り上げたフードホール

ー初回ということもあり、準備も大変だったのではないでしょうか?

大変でした(笑)当日使うものも手作りしたものがたくさんあります。大変でしたが、ガーランドも地域おこし協力隊の都丸さんがワークショップを開いてくれ、町内の方が一緒に製作してくださったり、自治会で「裁縫ができる方いませんか?」と問い合わせると裁縫サークルの奥様方が手伝ってくださったり、たくさんの人に助けていただきました。イベントの成功も大事なのですが、これをきっかけに横の連携ができるといいなと思っていて、出店者の方と運営会議や懇親会を開き、みんなで話し合う機会を多く設けました。その甲斐あって、みんなで作り上げたフードホールという感覚があります。次回以降は今回繋がることのできなかった方たちも巻き込んで開催できるようにしたいです。

ー当日は大変な混雑でしたね

ありがたいことに予想していたよりずっと多くのお客様に来ていただきました。申し訳ないことに売り切れてしまうことや長蛇の列になってしまうお店もありました。うれしい悲鳴ですが、改善しないといけないところはたくさんあるのかなと思います。それでも「こんなの今までの津別にはなかった」とか「またやってほしい」とか「おいしいものを食べれて嬉しい」という声があったので、嬉しかったです。出店者の方達にも「今まで繋がりのなかった町の方とも連携できた」と言ってもらえて、またここから新しいことに繋がるといいなと思います。

流氷牛を育てる「川瀬牧場」の川瀬さん。「GYUGYU-tto terrace」としてご自身も出店されたフードホールについてお話を聞きました!

地域で流氷牛を食べていただけたことが感慨深い

ー今回、メインの一つとなった流氷牛やフードホールに出店されて感じたことを教えていただけますか?

当初予想していたよりずっと多くのお客様に来ていただいて、嬉しかった反面、仕込みの少なさに申し訳ない思いもしましたね。でもウチではヒレステーキバーガーやウィンナーを出して、他の出店者さんも流氷牛を使い趣向を凝らしたメニューを出してくれたのは感慨深かったです。普段、流氷牛は道外に流通することが多くて、なかなか地域内で食べれません。地元の人たちにおいしい料理になって食べていただけたのはすごく嬉しかったです。

「GYUGYU-tto terrace」の流氷牛ヒレステーキバーガー

ー今後はフードホールはどういったことものになってほしいと思いますか?

津別でもこんなことができるんだなと思いました。遠くから来てくれたお客様もたくさんいて、楽しいこととかおいしいものを求めているんだなと感じました。続けていればもっといろいろな人が来てくれると思います。津別には他にもおいしい食材がたくさんあるので、こういったイベントでまた多くの人で賑わい、もっとおいしいものを提供していけたらなと思います。自分自身ももっと楽しんでもらえるものを提供しなくてはと意識が高まりました。

今回のフードホールで広報を担当したという北海道つべつまちづくり会社 統括マネージャーの松林さん

道東・オホーツクを巻き込んでいく動きにしたい

ー松林さんは広報を担当されたそうで、今回はどんな仕掛けをされたんですか?

新しい食の体験ができる場所ということで、食への関心が高い人に来ていただきたいなと思いました。デザインやホームページで今までと違うなと思っていただきたかったですね。町外にも届くフリーペーパーや旅行雑誌にも広告を出稿して町外への訴求を意識しました。そういった方々の満足度を測りたいと思っていて、フードホール開催に合わせてポイントが貯まる「津別ファンクラブ」もリリースしました。登録者も多かったし、町外から登録してくれた方もいます。今後は食べる・生活する・働くという情報が網羅されたものにアップデートしていきたいと思っています。

ー今後はどういったものにしていきたいですか?

今回わかったことは、みなさん新しいものが好きでエンターテイメントに飢えているのかなということでした。元々ある素材にアレンジを加えるだけで反応がガラッと変わったし、可能性を感じました。この地域には素材は無限にあると思っているので、もっとアレンジを加えていろいろなものを作っていきたいです。フードホールもそうですが、まちづくり会社としても様々な事業を手がけていきますし、新しい特産品を開発したり、津別町にあるものを活かして道東・オホーツクをどんどん巻き込んでいきたいですね。

津別フードホール

北海道つべつまちづくり株式会社が企画した、国内初「地産地消のフードホール」。2019年2月23・24日に開催された第一回目は来場者2700人越えの大盛況。今後も定期的な開催を目指し、準備を進めている。
津別フードホール WEB


【取材・編集】 中西 拓郎(なかにし たくろう)
1988年生まれ、北海道北見市出身。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。
2015年『Magazine 1988』を創刊。2017年より、一般社団法人オホーツク・テロワール理事、『HARU』編集長に就任。
ローカルメディアの運営他、企画・編集・PR・ブランディングなど、道東をつなぐ・つくる・つたえる仕事を手がけている。
Twitter:@takurou1988
WEB:http://1988web.com/

最新記事