「ジオミュージック」地域音楽ということをコンセプトに。

2019年に津別町に移住してこられた『ホラネロ』さんは、本田優一郎さんと谷藤万喜子さんからなる夫婦音楽ユニット。    現在は、ノンノの森ネイチャーセンターに勤務しながら、全国各地で演奏活動をしています。

奥様の谷藤万喜子さんは東京藝術大学大学院出身のクラッシック畑。ご主人の本田優一郎さんは宇多田ヒカルやTHE ALFEEなどポップス畑の作編曲家。異ジャンルの二人が、2012年から奥様の実家がある遠軽町に暮らし始め、次世代のこども達に地域の豊かな自然や、北海道らしい地域の魅力を音楽で表現できたら、との想いから、“ジオミュージック”をコンセプトに地域の人たちと手を取り合って作品を作るようになった。

「ホラネロ」という名前はシンガーソングライターの樋口了一氏によるもので、二人が東日本大震災の後によく演奏していた福島県の子守歌「ホラねろねんねろ」が由来だそう。

作っている音楽が融合音楽なので、名前もジャンルも思いあたるものがないということから、作っち会おう!ということになり、「ジオミュージック」という地域音楽ということをコンセプトに掲げて今までやってきたそう。

今回は奥様の谷藤万喜子さんにお話を伺いました。

地域の魅力を音楽で再構築する。

ーどんな想いでホラネロの活動をしていのですか?

音楽に託して、子供たちに音楽の魅力を体感で覚えてもらって記憶してもらう。「自分達が住んでいるところって、イケてるじゃん、楽しいじゃん」って思ってもらったり、実際に住んでいる人たちが住んでいる景色を「こんなに素敵な場所だったんだな」と、音の演出で感じてもらう。例えばドライブ中に曲を聴いてもらうだけで普段の風景がガラッと変わるのが音楽の力。

「使ってもらって、日常にとけこむ音楽になったらいいな~」って思ってやっています。

音楽をやるって言った時に、楽譜を買ってきて演奏するっていうのが手っ取り早いし楽なんですけど、それは他の人でもできるし、ここに住んでなくてもできる。

この田舎で音楽を仕事として続けていく意思があって移住してきているので、その為には役に立つ音楽でなければならないと思っています。

私達がつくるものが、心の糧になって栄養になっていくだろうっていうことで買ってくれる人が現れたらいいなと思って。それを目指して製品を作っている音楽工房なんです。

 

音楽をコンサートホールでただ演奏するだけじゃなくて、実際に森の中で活かす方法をここで模索できるといい。

ーそれでいうと、津別に住み始めて、津別からインスパイヤーされた音楽ってのも今後できてくるのですか?

もともと遠軽で最後にパッケージされたCDが「ヒグマのうた」という作品で、そのアルバムの中全体がヒグマの骨で作った笛を中心に、オーケストレーションを森にある音素材でつくっています。ちりばめられたその他の曲も自然を歌ったものや、ヒグマが食べる鮭やネマガリダケとかオオイタドリ、山菜とかで構成されてて。

ここで、北海道の象徴的な生き物ヒグマを通して、色々なことを取材していって、更になんか毎年津別で呼んでもらっている上里にネイチャーセンターも出来るってことを聞いていたので、「音楽をコンサートホールでただ演奏するだけじゃなくて、実際に森の中で活かす方法をここで模索できるといいな~」という。そういう展望を持ってここに来させてもらっています。

次の5枚目のCDは開拓をテーマにした「The Second Frontier」、その次のテーマが『森』っていう。そこまでは決まっているんです。

そこにこれから少しずつ曲を書き溜めていく感じです。

 

ーということはここ(津別)でということになりますか?

そうですね。津別発信になると思います。内容そのものは北海道オホーツクを中心に北海道全域から得る情報とか、人と出会って刺激されて感動して音楽が生まれるので、津別で必ずしも完結するとは限らないですけど。完成をさせる場所として津別が拠点になっていると思います。

ここ(津別)に引っ越してきて、私たちがジオミュージックとしてやっていたこと「次世代に地域の魅力を伝える」ってことと、ネイチャーセンターの上野代表がネイチャーガイドというものを通して、地域にすごく貢献しているので、「やっぱり、そういう共通の理念みたいなものがあるな~」っていうのはお互い意識はしてて。もちろん私たちの方が、ここで学ぶことの方が多いんですけど。「何か科学反応みたいなものができるといいね」っていう。そういうワクワク感があってここに来てますので、楽しみにしてほしいですね。

 

ーホラネロさんが津別に来られて、お祭りでも、JIMBARでも気軽に音楽を奏でていただけると、遠い存在だと思ってたものが、とっても身近な存在になっていますし、ロケーションにあっている。音楽が入ると景色が変わるっているのは本当だなと感じます。

だから曲づくりをするときに、机の上で「う~ん」ってうなって書いてる訳じゃなくて、人と出会って、「この人たちがやっていることってすごいな~、感動したな~」っていうところから生まれてるので、すごい責任もあるし、1曲1曲の背景に色々な人の顔が浮かぶ作品ばかりで、そこは何も知らずに聴いても、もちろんいい曲なんですけど、ライブでそういうトークとともに聴いてもらうと2度おいしいというか。

そういう奥のある曲ばっかりなので、私たちもおもしろい。

心の糧づくり。

ー万喜子さんが吹かれているヒグマの笛はオリジナルなんですか?

世界に一つだけです。

ー音階や音をちゃんと出すために、どうやって笛を作っているのですか?

そもそもが、どんな笛ができるか、わからない状態で作っているので(笑)。最初1本のままの関節ごとヒグマの上腕骨をいただいて、いただいた時はあまりの硬さに、これは外科医の先生にお願いしようかと思ったくらいだったんですけど。家に父が持っていた道具で、ゆっくりゆっくりやったら、なんとかひび割れることもなく切れて、中の髄がびっちり詰まっていたんですけど、ものすごい年数放置されていたおかげで、切った途端サラサラサラサラと抜けて、筒になったので、「これは笛にしてって言ってるんだね」って父と。

ー最初からこんな笛を作ろうと思って作っていた訳ではないんですね。切ってみてからの試行錯誤だったんですね。

そうです。「これいけるね」って父と。で、少し整えて。で、また削ったのですが、穴をあける位置とかは、ほぼ父の長年の勘によるもので、リコーダーというよりは、オカリナっていう楽器が近いかな。

ただ、小さいので穴の数が限られるので、あまり色々な音はだせないけど。でも掌で操作した感じで色々な音を奏でています。使える音程が奇跡的にだせたんです。骨密度がすごい。音を出すときは親指のつけねで塞いで吹いています。

ーでも骨から笛っていう発想がすごいですよね。

今はヒグマの笛が一押しなんですけど。他に流氷の鳴き音とか、黒曜石の石器づくりの粉砕音はガラス質ですごいキレイなので、それを曲にしているのもあります。一際ジオミュージックらしさが出せているんじゃないかな。

1個1個その職業に携わっているプロフェッショナルに会いに行ってるんです。そこで、取材をして、それを音楽という形で表現する。

「ものを伝えたい」という気持ちは文章でも音楽でも共通。

ラーメン屋さんでも同じ。地域の食材を生かしてつくる。想いがあって、そこのまちで採れたよっていうだけで味が変わった気がするじゃないですか。

今はネイチャーセンターのcaféでも働かせてもらっているけど、季節によってできる作物が提供出来たらいいね~って言ってます。それが一つの作品でもあるし。命の糧づくりをしてる人がすごいな~って思います。

だから、心の糧づくり。

ー前からそういう想いが強かったんですか?

今のような事を音楽しようとは思ってなかったんですけど、父が尺八奏者だったので、小さい頃からそれをきいて育って。私はフルート専門なんですけど、日本の伝統楽器の尺八すら吹けないのに外国の伝統楽器は語れないと思って、思い切って尺八を買って今もマイペースに父に習いながら吹いているんです。

「ジオ」って言った時に日本っていう自分の根っこ・ルーツみたいなものを意識してたので、その延長にあるのかなって思います。

自分の子供たちにも地域の魅力ってものを伝えたいと思っていたので。取材の時間が本当に感動する時間で、ここにホラネロのお客さんもいたらいいのにって思います。

ーところで移住したきっかけは何だったんですか?

9年目になるのかな?ずっと「クリンソウまつり」に呼んでいただいていて。新しい曲ができたよっていうのを年に1回ここで報告しに来てたって感じで。「ただいま~」みないな感じになっていたことろ、ネイチャーセンターができるときいて、私たちから打診したんです。

ー万喜子さんからみた津別の印象はどんな感じなんですか?

移住前は、津別にご縁ができていたので、「親しみのある町」というイメージ。クリンソウまつりも、シゲちゃんランドも個人的に好きな場所でよく来ていました。上野さんが活動している中で出会った人たちとのエピソードを聞いているうちに、自分もまるで住んだことがあるかのような。予習みたいなことがてきていた感じです。音楽に関しても熱心なまちですよね。

移住後は、JIMBA、さんさん館とかに顔をだしたりしています。

子供も学校が楽しいみたいで。15人しかいない学年だけど仲もいいし、勉強もがんばっているし、学校に行くのが楽しいっていっています。子供たちの雰囲気が明るくっていいなって感じています。公設民営塾も利用しています。子供のことにアクションを起こせる町はすごく安心!ていうのがまずあって。あとJIMBAのコミニティ。元気な層が元気に頑張れている。当たり前のことが目に見えているということがいいことだと思います。

頑張っている姿は気持ちがいいです。お祭りの雰囲気も明るい。若い人が集っている。楽しそうっていう安心感。

みんながこれから定住してまちに子供が増えていってという未来像。夢が描けるまちっていう雰囲気はあります。

最終的には次世代に刺激をあたえたい。

一番大事なのは「親世代が子供にどうはたらきかけるか」ということなんじゃないかな?

と思うから、その世代の人がどういうことを考え、どう行動しようとしているか?思考が働いている人たちがいるかどうかが、すごい大事になってくるのかなって思うんです。

ホラネロって高齢の方のファンが多かったんですが、これからだんだん若い世代や中高生に知ってもらう努力をぜひしたいと考えていて、そこらへんが、自分たちの課題かなと考えています。

ー今後、津別でどんなことをしていきたですか?

ホラネロの音楽活動に関しては『森』をテーマにした曲づくり。自分たちがネイチャーセンターをとおして「見たこと、感動したこと、出会った人からもらった刺激」を音楽にしていきたいなと思っています。森林鉄道の生き証人の話をきいて、森と人との営みというのを描いていくっていうのもしていきたい。

「森の音探し遠足」ということをやって「ヒグマのうた」ができているのですが、ノンノの森でも、お子さんと一緒にやりたい。「音で見つけるふるさとの魅力」っていう。五感で記憶されるものなので。やりたいことがいっぱいあります。

ホラネロ

本田優一郎さん(1970年生まれ。東京都出身)と谷藤万喜子さん(1971年生まれ。北海道遠軽町出身)からなる夫婦音楽ユニット。『ジオミュージック』をコンセプトに精力的に活動をしてます。

 

ホラネロ ホームページ https://www.horanero.com/

【取材・編集】 都丸 雅子(とまる まさこ)
1974年生まれ、群馬県渋川市出身。
2016年春、地域おこし協力隊として津別町に移住。
任期終了後は津別町の移住・定住サポートデスクを担当。

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