観光地域づくり。
ーまず、移住したきっかけを教えてください。
北海道が好きだったから。 最初は弟子屈だったんだけど、北海道だったらどこでも良かった。
25歳くらいの時から北海道に移住しようと思っていて、そのきっかけは20歳の時に初めてオートバイで北海道の旅をして興部と雄武の境くらいで大事故をして、車と正面衝突。全損しその時の相手にすごく親切にしていただいて、稚内から飛行機で帰るのだけど、その人が帰りの飛行機の手配までしてくれて。
それで、その人に会いに来ようと思って、次の年もバイクを買って北海道に来るようになって。そこから5年くらい江差(北見)に通った。その後、社会人になってお盆にしか来れなくなって、いつの間にかその人と会えなくなってしまったけど。
その後も、ずっと北海道に遊びに来ていて。「いつか北海道に住みたいな~」と思って。
色々なところを回っていたんだけど、その1つに津別の西洋軒があって、2代目のマスターに良くしてもらって。
たまたま、今のランプの宿がホレスターだった時代にキャンプ場でキャンプをしようと思って食事をしようと思ったら、「ホテルで宿泊者した人しか食事はありません」って言われて。
町まで20km以上かけて戻って、夜19時前だったのに店がどこもやっていない。「なんて町だ」と思っただけど、たまたま西洋軒に灯りがあって、でも店は閉まっていて。で、「何か食べれるものないですか?」って聞きに行ったら、「スープは捨ててないからラーメンだったらできるよ」って、食わしてくれて。
そのことを旅の手記(ツーリング用の雑誌)に投稿したら、採用していただいて、ツーリングレポートの年間大賞をもらって。で、2代目のマスターがでかでかでている写真を送ったら、とっても喜んでくれて。「いつ来てもラーメンはただで食わしてやるから遊びに来い」って言ってもらったのをきっかけに。23,4歳(20年以上前)の時かな。西洋軒に行くようになり、そこを拠点に色々な知り合いが増えていったんだ。でも津別に移住する気はなかったから。途中で一回弟子屈に移住して、カヌーのガイドをして。でも食べていけなくて。で、横浜に戻って。
横浜に戻って経営の勉強とかしっかりしてから北海道に来ようと思って7年くらい保険の家業マンをして。その間もずっと西洋軒にはいっていた。
で、たまたま「フォレスターが変わるのに支配人をやる人がいない」って聞いて。僕はチミケップ湖周辺で土地はないかと役場に話していたら、そんな話をきいて。「支配人どうですか?」ということで、話をするようになり。そこの社長が、「上野さんが自然学校をやりたかったのは知ってるから、ホテルやりながら作ってもいい」って言ってくれて。
「そのかわり給料ないよ。その分自分の好きなことやってもいいよ」と言われて。
それで作ったのが『森のこだま』
ホテルを再生させるというミッションを町からもらったけど、以前のホテルはスキー場がなくなり、冬の営業が不安定になりこんな森の奥深くで何もやることがない。当時は体験プログラムなんて何もないから。ホテルに来てもらうには遊ぶものがなかったら。というか来る目的がなかった。その目的をつくるってのが、森のこだまのミッションで。
それがそのまま地域づくりになると。それを観光地域づくりって言うんだけど。それをそのまま会社にしようと。
物を売るのではなく、体験を売るっていうことをしなければいけないよねって。その体験プログラムを売るのが森のこだまで。ホテルをはじめてから、2年目に会社をつくったのかな。3年目から体験プログラムをつくって、一番ヒットしたのが、雲海ツアーだよね。
たまたま弟子屈のプリンスホテルでバイトしていたことがあって、当時のマネージャーの人に「峠の反対側で支配人やることになったので、一緒とにおもしろいことやらない」って言って「じゃあ、双方の真ん中の峠で体験ツアーやるか」ってことになって。向こうもそうするとホテルに泊まる理由ができるから。当時森つべつに泊まる理由が欲しいから、早朝のツアーだったり、夜のツアーだったら、泊らなきゃいけない。
それをつくったら、プリンスもやりたいっていってくれて、それだったら一緒にやりましょうよということで、観光地域づくりがはじまったんだよね。
プリンスも集客をしてくれて。だから今の何千人っていう規模になっていく。
最終的にはホテルの支配として移住して5年。その後、一本に絞ったという感じ。
ーそのNPO法人森のこだまについて教えてください。
観光地域づくりをしていくためのもの。
『森のこだま』はあくまでも会社なのでブランドではない。 だけど、地域の財産にしていくのは『森のこだま』という会社ではなく、地域のブランド。だから『ノンノの森』。
地域の財産になるのはブランドなので。 だからここは『ノンノの森ネイチャーセンター』で、運営しているのが『森のこだま』
ソフトもハードも両方必要。
ーノンノの森ネイチャーセンターについて教えてください。
たまたま、俺が移住してきたときに津別町が森林セラピー基地っていう取り組みをはじめていて。
ここを森林セラピー基地に整備したんだけど、誰もガイドがいなかった。
お金になるところを作れなかった。
基地にはなったけど、入場料を取っているわけでもないし、それをどうやって続けていく?っていう。
そうなってくると窓口が必要だし、補助金がなくなったら消えちゃう。でも、消えちゃいけない。
それを誰かが続けていかなければいけない。
そのための法人化。
ずっと続けていくためには必要。だから『森のこだま』を作った。
ソフトウェアが人なんだけと、その拠点ハードウェアも必要で。
この取り組みはソフトウェアが先行した。ガイドさんはいっぱい生まれたし、雲海ツアーも生まれたし。森林セラピーもやっているけど・・・。
ソフトは完成しているが、ハードがないよね?というところから、『ノンノの森ネイチャーセンター』ができた。
ソフトもハードも両方必要。
ただ、ネイチャーセンターは次のステップの入口でしかない。 次は誰が続けていってくれるか? 年齢も考えていくとずっと誰かひとりがやり続けられるものではない。
「考え・想い・知識」+「行動する力」
そう考えると次のステップは人づくり。 それをどうやっていきますか?っていう。
短期的にみれば就職っていうのもあるが、長期的にみたら、やはり地元の人がこれを宝だと思って、育て発信していくこと。 それが出来ていかない限り本当の地域づくりにはならない。
あくまで、外から来た俺らがかき回してるだけでは意味がないので。
子たちが森を財産だと思い「20年・30年先にこれを引き継いでいこう!」と思える子を育てていくことを同時にやっていかないといけないから。
それが『森の幼稚園』だったり、『小学校・中学校・高校の授業を自然学校』としてやっていくこと。
今の小学校3年生くらいの子は、幼稚園生時代にここに来ている。 小さい時にどれだけ地元がっていうことを教えてあげることが重要。
地域の人は「こんな田舎に何もないという」 そうではなく、「何でもあるよ」ということを言っていくこと。やっていくこと。
あとは考えた世界を「やるか・やらないか」だけ。
それをたまたま実践するフィールドとして津別が僕にはあったから、実践しているだけ。
理想を語る人はいっぱいいるし、評論家や学者はいっぱいいるんだけど、意味はなくて、実践として行動していく人が必要。 そうでなかったら、世の中何も変わらない。だから両輪なければいけない。
「考え・想い・知識」+「行動する力」
両輪ある人がいなかったら、物事は動かない。 だけど一人で動かしても動かないことが、地域にはいっぱいあるので、それによって共感する人をどこまでつくれるか。
協力してくれて、一緒にやろうと思ってくれる人をどこまで増やせるかが、今の課題。
これがあって良かったと思ってもらわなきゃ意味がない。それがお荷物になっても意味がない。
ここで学んで子供たちが「いやー楽しかった」って家に帰ってきて、「森のかおりってこんなんだったよ」って、お母さんに報告したなんてのをFacebookに書いてくれてるけど、それがあってはじめて成果であって。
でも今度その子たちが将来10人に1人でもいいけど、「やっぱり津別に戻ろう」とか「津別でこういうことやってみよう」とか。 っていう子が生まれたら、やっと1回転だよね。
ー今やってきたことがすぐではなく、だんだん子供たちが成長していくことで次どうなっていくかを知る。かなり長いスパンだけどそれを実践するっていう。それを津別で実践し、どうなっていくのか確認できる。これも一つの醍醐味。すごいですねぇ~。
でも「森」ってそうやらなければ作れない。
100年の木は、100年経たなければ育たない。自然っていうのは本来そういうもの。
そこにズルをしたり、無理をしたりするからおかしなことになる。
100年で大人になる。育つ木が100本あったら、1年に1本しか切ってはいけないことになる。それを毎年植えていって、そしたら、未来永劫ずっと気を取り続けられる。
それを金になるからって、100本一気に切る年があったら、そこから99年間は木が取れない。
今までの世の中は多分、この99本をとるってことをやってきている。だから、今とれない。
ちゃんと100本あって1本育てていれば、毎年1本必ずとれる。最初にとったものを植えておけばまた一周まわってきたら、100年後に採れるわけだから。
何でその当たり前のことができなくなってしまったのか?
それは人づくりも一緒。 森づくりもそう。
それをどっかの代がさぼってしまったわけ。さぼったのか途切れたのか。
お金が手段なのか目的なのか。
ーこれって何にでもいえることですね。やっぱり繋いでいくことって重要なんですね。
世の中になくなってはいけないサービスだと自負があれば、提供し続けることが必要になる。その為には個人では限界がる。その為の法人化。 続けるためには利益を出さなければならない。 利益のためにやっているのではなく、続けるために利益が必要。
お金が手段なのか目的なのか。
利益は目的ではなくて手段であって、自分の会社が社会にどんなミッションを持っていてどんなことをするのかが、きちんと決まっていれば、利益はださなければいけない。
「なんて?」って、それをずっと提供し続けることに意味があるから。
だからここも赤字になってはダメ。 ネイチャーセンターという本当のいみをつくれたのなら、それを未来永劫提供し続けなければいけないのだから。 その為に法人にしたわけであって。
会社でよく言うのは3つのションって言うんだけど。
ビジョン(将来こうなりたいっていう) ミッション(それに対する使命感) パッション(この2つを支えるのがパッション)
この3つが揃った時に初めて動き出すという。
最終的には『人』
ー上野さんは色々な取り組みをしているが、上野さんがこだわっていることは何ですか?
「人」だよね。最後は人。 それは「人づくり」ってこともあるし、観光としての「商品としての人」
最終的には人になるから。
モノではない「ひと」 モノはモノ
その人が持っているストーリーや想いは人それぞれ。 それが地域にとってオンリーワンなもの。
こだわるものは「人」
ガイドさんもマニュアルはつくって、色々な人に雲海ガイドをしてほしいいけど、最終的にはその人が持っている伝えたい想いっていうのが、そのガイドにでてくるのが商品になる。
雲海(モノ)を売っている時点で続かなくなる。雲海という景色を売っているわけではなくて、雲海から得られる価値とか見方とか、っていうものを商品にしていかないと。
色々な取り組みのなかで、全てにおいてこだわっているのが「人」
でもそれが一番難しい。
ー最後に移住希望者へ一言お願いできますか?
「やってみな!」って感じ。
それが直接移住なのか旅をすることなのか地域の人たちとふれあうことなのか。 思っているだけでは、何もかわらない。
THINKじゃなくてDO
上野真司
特定非営利活動法人 森のこだま代表。1971年愛知県生まれ。 2010年に横浜より移住。「ランプの宿 森つべつ」の支配人を経て現職。NPO法人森のこだまでは、自然と人間が一体となり「こだまする」社会の実現を目指し、津別町上里地区を中心に近隣の自然資源を活用した様々なサービスをこなっている。
NPO法人 森のこだま ホームページ https://morinokodama.com/