“セカンドフロンティア” 津別の新しい挑戦

津別町の南部、相生(あいおい)地区に突然現れる不思議な美術館『シゲチャンランド』 。その創設者である大西さんは津別町出身の造形作家で、道の駅あいおいで大人気のスイーツ“クマヤキ”もデザインしました。津別高校卒業後、東京やニューヨークに渡り、「ひらけ!ポンキッキ」のオープニングタイトルなど、様々なデザインやコマーシャルを手掛けました。町の人はみんな愛着を込めて、“シゲさん”と呼びます。そんなシゲさんが今どんなことを思っているのか、お話を伺いました。

ーどうして津別でシゲチャンランドを作ったんですか?

津別高校を卒業した後、東京でイラストレーターを30年くらいやっていて、40代くらいから立体作品を使ったイラストレーションをしてたんだよね。その仕事は、最後に写真を撮ってそれが原稿になっていくわけなんだけど、撮影に使った現物がどんどん手元に残っていく。そうすると自宅にもアトリエにも収まらなくなって、どこかに引っ越しをしないといけないだろうと思っていた。それでいろいろな場所を探して、何か残しておけるところを作れないかと思っていたんだ。

文化の匂いを探して町を出た。それを身につけるための30年。

ー作品を展示する場所を探していたんですね。

当時、東京で自分が欲しかったものはひと通り手に入れられたのかな、という気もしていた。でも今年でシゲチャンランドが20周年を迎えて、だんだんわかってきたことがあってね。津別を出て今まで東京だったりニューヨークだったり、スリランカやネパールまで行っちゃったり、この動機はなんだったのかというと、“地元になかった”というものを求めていたんだよね。ファッションだったり、音楽だったり、あの頃は横尾忠則さんみたいな文化人のスターが生まれたりしていたけど、文化の匂いが地元には無かった。だからそれを探しに出て行ったんだなと思うんだよね。そしてそれを身につけるための30年だったんだなと。足元にあるものを見つめたら、宝物はいくらでもある。

ー今は津別で若い人たちとも一緒にデザイン活動をされていますよね。どんなことを考えていらっしゃるんですか?

こんな田舎には何もないと思うかもしれないけど、足元にあるものをもう一回見つめてみたら宝物はいくらでもある。小さい頃はただ遊んでただけだったけど、この年になるとみんな忘れ去ってしまったものとか、捨て去ったものの中に宝物が見えてくる。もったいないな、と思うことがとっても多いんだよね。その物の見方を30年で培ったのかもしれない。都会で頑張るのも良いけど、ここだって何もないけどこれから探してやれば、本当はいくらでも宝物がある場所なんだよ、ということなんだよね。

どさくさ紛れのときが一番面白い。

ーなかなかそこに気づくまでには時間がかかりますね。

今の津別には僕たちが若い頃にはいなかった色んな人たちが集まってきて、これからが津別の第二の開拓時代、“セカンドフロンティア”だと思ってる。
テレビも創生時代が一番面白かったみたいに、何もないところ、今みたいにまだ体制が整ってなくて、やるかやらないかみたいな緊張感があるときが一番面白いんだよね。
本当に何かをやりたいなら、どさくさ紛れのときにやる。
どんなところでもチャレンジできる、そういうことをやっていったら良いと思ってる。


【取材・編集】 小町谷 健彦(こまちや たけひこ)
1985年生まれ、北海道札幌市出身。
大学進学を機に上京し、映画、ドキュメンタリー業界で活動。
2019年に北海道津別町へ移住。
オホーツクの活性化を目指し北海道つべつまちづくり株式会社に勤務。
国内外の映像プロデュースも続ける。

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